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トライアスロン15年

  きっかけはスポーツクラブの友達とスタッフの一声。 なんとなく一度ぐらいやってみようかな〜?軽い気持ちで挑戦したら見事にハマった! 当初は近場を出まくり、ゴールはもちろん知り合いを増やす事が最高に楽しかった。 携帯、PCも普及していない昭和の延長上の時代。 住所氏名電話番号をメモ交換して情報交換をしていた。 TJというトライアスロン情報雑誌で毎月チェックしエントリーをしていた。 また自分の写真や名前を探す事も楽しかった。

 2005年辺りからエンジョイアスリートからタイムにこだわるアスリートになっていた。

ここでハワイの知識が入りいつかは自分も必ず挑戦するという意識が強くなった。 自己流でトレーニングを開始して2006年にめぐって来たチャンスを自分で失わせてしまった。 取り返しのつかない失敗だ。 ハワイ権利が1人余りロールダウンで巡ってくるルールがあるのだがその時点、その場所に存在しなければ次の人に権利が行ってしまう。

まさか自分が呼ばれる事はないと決め付け会場を去って、食事中に友達からの電話で名前を呼ばれていた事を知り、会場に戻ったが全ては終わっていた。 涙が枯れ果てた時点で翌年リベンジを決意した。

2007年奇跡が起きた!エイジ3位!1位のアメリカ人が権利を持っているのを知っていた為、ロールダウンは自分に一番最初にやってくる。 昨年の失敗をプラスにできた!

ハワイのスタート前は感動のあまり涙が止まらなかった[ゴールで泣けよ]と言われたが逆に最高の笑顔でゴールできた。

 

2008年佐渡Bタイプでは女子総合6位入賞

2009年2010年同レースでエイジ優勝。

2010年口蹄疫で中止となったアイアンマンジャパン。

 

2011年からは長崎国際トライアスロンに名称変更されてしまうが距離はアイアンディスタンス。自分歴の為に連続完走を目標として行きたい。

 

振り返ってみると[スゲェ]トライアスロン人生だ。

全国の人達との出逢い!

感動と勇気と協力で支えられ得たものは計り知れない財産になった。

これからも財産を増やして行けるように日々を大切に生きていこう!

 

トライアスロン(だけじゃないが)は人との競争ではなく自分との戦い。速さを求めるだけでなく楽しむ事は誰にも負けないという気持ちでレースをしよう!

心で身体を動かす!自己ベストも必ず付いて来る。

サルデレラもやっと開花したんだから!

 


 
< 出場大会歴 >
1995年

セントラルカップ伊豆修善寺
日米親善厚着基地
日米親善相模原補給地
ママーパスタ(昭和記念公園)
横田基地トライアスロン
以上スプリントディスタンス

1996年
潮来トライアスロン(51.5)伊豆大島(51.5)
日米親善厚着基地
日米親善相模原補給地
グアム島(S2B60R15)*
珠洲Aタイプ
サンライズ磐田竜洋
奄美レディーストライアスロン(51.5)

1997年

アイアンマンランザローテ(スペインカナリア諸島)DNF
オロロンライントライアスロン(北海道)DNF
奄美レディーストライアスロン(51.5)

1998年
宮古島ストロングマン
オロロンライントライアスロン

1999年

宮古島ストロングマン

2000年ー2009年
アイアンマンジャパン五島福江島 連続出場

2000年
オロロンライントライアスロン

2001年
佐渡国際Aタイプ

2002年
オロロンライントライアスロン

2003年
佐渡国際Aタイプ

2004年
アイアンマンマレーシア

2005年
佐渡国際Bタイプ
銚子トライアスロン(51.5)
2006年
オロロンライントライアスロン(最終回)
佐渡国際Bタイプ
銚子トライアスロン(51.5)
2007年
アイアンマンハワイワールドチャンピオンシップ

2008年
佐渡国際Bタイプ

2009年
佐渡国際Bタイプ

2010年
済州トライアスロンIQ
佐渡国際Bタイプ
ハーフアイアンマンジャパン常滑
ハーフアイアンマンワールドチャンピオンシップフロリダ

 


 

 

波瀾万丈(大げさ)?な2010年も終わろうとしています。

口蹄疫で中止となった第10回アイアンマンジャパン。

トライアスロン歴15年目にしてこれほど辛い思いをしたのは初めてだった。過去タイムアウトでゴール出来なかった大会よりも辛い。

何が辛かったのか今でもよくわからないが、気持ちの修復には時間が掛った。

しかし立ち直る間もなく済州島IQのエントリーが始まり気がつけば済州のレースのゴールテープを切っていた。

落ち着きを取り戻し9月猛暑の佐渡大会Bタイプのスタート。

練習不足に暑さが加わり2年間女子総合順位一桁台から12位に転落してしまった。

唯一エイジ優勝だけはなんとか維持出来たがタイムは最悪となってしまった。

9月2戦目日本初のハーフアイアンマンが愛知県常滑市で開催された。

複雑なコースだったが空港へのゴールはすばらしかった。

しかし、完走メダルをかけてもらえず??だらけの大会。メダルは用意されていなかったようだ。

アイアンマンと名のつく大会でメダル無しとは感動の涙も出ない。

しかし、幸運は訪れた。

ワールドチャンピオンシップへの出場権利をゲットし、11月フロリダクリアウォーターで開催されるチャンピオンシップのスタートラインに立つ事となった。

シーズンの悔しさが一気に取り去られ気持ち良くゴールできた。


ゴールは次へのスタート!

5年以内の目標はハーフアイアンマンアジアチャンピオンの表彰台です。

いつかはハワイでも表彰台にたちたいな!こればかりは長生きするしかないかも。

(2010.12 記)


 

 左上は2007年アイアンマンジャパンのゴールです。 ゴール前の数百メートル手前で同じエイジのSさんを抜き4秒差で勝ち取った3位のゴールです。 このSさんも1回目からの連続完了者です。 ゴール後のSさんから 「おめでとう!ハワイに出たかった!実力不足です。私の分も頑張って下さい」 と祝福され翌年の再会を約束しました。

 

2003.長崎